不確かな時代で自分らしく生きるために「リベラル・アーツ」をはじめよう

Edv Magazine 編集部

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不確かな時代で自分らしく生きるために「リベラル・アーツ」をはじめよう

黒人初のオバマ元米大統領、Appleを創業し数々のイノベーションを起こしたスティーブ・ジョブズ、日本における女子教育の先駆者であり、津田塾女子大学の創立者でもある津田梅子。いずれも歴史に名を残す著名人であり、社会を変革してきたリーダーだ。

3名には、ある共通点がある。リベラル・アーツ・カレッジで学んでいたのだ。

リベラル・アーツ(Liberal arts)とは「自由人として生きるための技術」である。元来は三科(文法、修辞学、弁証法)と四科(算数、幾何、天文、音楽)で構成されていたが、18世紀頃に「視野が狭く偏見に満ちた状態から解き放たれるための学問」として南北戦争以後のアメリカにおいて意識されて以来、三科+四科の縛りは解かれ、先の定義に変遷した。

実はこのリベラル・アーツが近年日本でも、サントリーホールディングス社長の新浪剛史氏、麻布中学校・麻布高等学校の平秀明校長、立命館アジア太平洋大学学長である出口治明氏など、様々な分野の識者に注目されている。

予測不可能な世界を生きるための力

リベラル・アーツが注目される背景として、私たちが生きる時代背景がある。

現代社会はVUCA時代と言われる。「Volatility:変動」「Uncertainty:不確実」「Complexity:複雑」「Ambiguity:曖昧」の頭文字をとってVUCA(ブーカ)である。

高度にグローバル化し、テクノロジーが進化し続けていることは多くの人にとってすでに自明のことだが、世界が”質的に”変化していることに、どれだけの人が自覚的だろうか。

手のひらサイズの機械で、世界中のメディアにアクセスでき、ほぼリアルタイムに近い状態で情報を知ることができる。多様な文化的背景や価値観を持つ人間同士が同じ地域に暮らし、物品や自然資源を交換し、サービスを提供しあい、インターネットで交流する。同じ職場で働くことも珍しくない。

国際的に経済や政治が深く影響を及ぼしあっている今、個人の生活にも決して小さくない影響がある。何事も「対岸の火事」などと考えてはならないほどに。何が自分の生活に影響を与えてもおかしくはない、もはや予測不可能と言える世界。それが私たちの生きる時代である。

つまりどこか遠い国の世界的リーダーに限られた話ではないのだ。一人ひとりが柔軟かつ多面的に物事を捉えて、日々起こることを理解し、対応していかなくてはならない。そこでリベラル・アーツである。

リベラル・アーツでは自分の専門領域やバックボーンと関係ない領域についても学ぶ。キリスト教の信者だから聖書の内容だけ理解していればいい、日本人だから日本の文化だけ理解すればいいといった偏狭な考え方はしない。だから自分と異なる文化的背景を持つ人々の考えを理解し、共に協力もできるのだ。

しかしこのリベラル・アーツを教育する取り組みが、日本では遅れている。

リベラル・アーツを阻む実用主義の教育

リベラル・アーツの浸透を阻む要因として特に深刻なのは、実用主義ともいえる日本の教育方針だ。しかしその芽は早々に摘まれてしまった。最も大きな要因として考えられるのが、近代化を押し進める必要にかられた明治政府によって実施された教育施策である。

明治は日本の優秀な人物の欧米派遣が活発に実施された時代だった。時の役人たちは日本の教育制度をつくる上でも大いに参考にし、明治27年に井上毅の元で公布された「高等学校令」や、明治36年に改訂された「実業学校令」、大正11年の「文部省訓令」といった教育制度が取り決められていった。

リベラル・アーツは菊池大麗や新渡戸稲造といった人物によって注目され、教育制度として実施を進める動きがあったが、社会背景もあり、結局のところ近代の日本において必要な専門的かつ実用的であることに注力した教育に着地してしまった。リベラル・アーツが育っていける土壌はではなかったのである。

そして現代においても、実用主義は色濃く残っている。中学時から理系か文系かについて意識づけがされ、高校に上がると理系クラスと文系クラスとして科目の比重がどちらかに大きく傾くことになる。

とりあえず大学を卒業しておけば就職活動で優遇されると考え、大学に進学する高校生も多い。「学んで何の役に立つんだ」とよく中等・高等学校の学生は口にするが、無意識にも実用主義を信奉するような発言していることは皮肉だ。

実際大学に進学してしまえば、大半の学生が所属とは異なる科学分野を学ばなくなる。楽に単位が取れる「楽単授業」としてまともに授業を受ける気がない学生も多い。就職するために大学に進学し、大学卒業のチケットを手に入れるために、授業を聞き流すのだ。

はたしてリベラル・アーツは「役に立たない」のだろうか。そもそもリベラル・アーツの文脈において、実用的技能ともいえる力を蔑ろにせよとは語られていないが、あえて日本の実用主義偏重の文脈に合わせて考えよう。

リベラル・アーツと「実用主義」は対立するのか?

いま、実用主義は限界を迎えている。

実用的であるといわれるのは、すでに「AをBすればC程度の効果が得られる」とわかった事柄である。つまり答えがわかりきったものであり、ある種マニュアルが存在している。

日本ではマニュアル通りのことを卒なくこなし、全体をいつも通りに問題なく維持する、いわば歯車となれる(都合の良い)人間が長らく求められ続けてきた。教育においても、用意された問題を解き続けて、その正答率が重視されてきた。マニュアル型の社会が長年経済の発展を推し進めてきたのも事実だ。答えが用意されているのだから、現代よりも遥かに、自分の判断と行動によってもたらされる結果が予測しやすい世界だっただろう。

しかし私たちはいま、冒頭でも触れたように、予測が難しい世界に生きている。問題が発生するのに、何がクリティカルな変数になるのか、誰も答えを用意することはできず、それまで答えを用意してくれていた人間があてにならないことがわかる。

「実用」の言葉は、「実地に使って役立つものであること」を意味する。「実地」は「現実の場」を意味する。私たちはこれまでよりも広い世界と多様な人間との複雑な現実に直面している。

現代においては、旧来の「実用主義」に陥らないことこそが、むしろ成果を残す上で重要なのである。

いま求められる人材像

日本経済団体連合会(経団連)が発表した「今後の採用と大学教育に関する提案」において、「大学に期待する教育改革」の項目にリベラル・アーツ教育が求められるとの記載がある

答えがなく不確実性が高いのは、経済界でも当然として認識されている。ムーアの法則に象徴されるように、恐ろしい速さでコンピューターの性能は向上するし、新しい技術も次々に開発されている。iPhoneが初めて発売されたのはわずか13年前だが、2020年現在スマートフォンの存在は当たり前になり、いま人々が注目しているのは人工知能やVR/AR、5G接続だ。経済の新陳代謝がどんどんスピードアップしているのだ。

ダーウィンは自然選択を説いた。環境に適応するように生物は進化するのだ。市場環境の変化が激しい中で、企業も当然変化を求められている。継続的に成長し続けるためには、「優秀な人材」を採用しなくてはならない。「優秀な人材」とはどんな人材だろうか。定型業務を延々と繰り返すだけの人材でないことは言うまでもない。

経団連の言葉を借りるなら「学生に求める能力として、リベラルアーツを重視しており、語学(英語)力、情報リテラシー、地球規模課題や世界情勢への関心等を求めている企業が多い」のだ。これが企業が求める「優秀な人材」像である。

またリベラル・アーツへの期待は、トレンドとしてすでに現れている。STEM教育(Science:科学、Technology:技術、 Engineering:工学、Mathematics:数学)が21世紀型の教育として取り沙汰されており、これからのビジネスパーソンに必要な素養としても語られている。さらにはオーバーラップする形でアート思考や文化人類学が注視されている。Webの記事を読んだり、普段から本屋に訪れている人なら感じたことがあるかもしれない。

社会、そして企業はすでに「教養ある人間」を高く評価している。専門性に囚われ、視野が狭い人材ではなく、いまの時代にふさわしい力を備えた人材を求めているのである。

この時代に自分らしく生きるためのリベラル・アーツ

「ではリベラル・アーツを学べば、就職できる」と考えるのなら、まだ実用主義の檻から抜け出すことはできていない。このメディアの読者にはもう一段、視座を高くもってほしい。

史上、時代の教育に関わる者たちが、教養教育や大学教育のあり方を問い続けてきた。その中で、リベラル・アーツの意味についても、時代の変化に応じて議論が重ねられてきた。現代の日本人は学びについて、彼らのように問いをもつ必要がある。

米国のウェズリアン大学(リベラルアーツ大学)では、大学で「世界を知り、自分という人間になるために勉強をするのだ」と教えるそうだ。

私たちは生まれ育った環境により、ある「自分のあり方」を獲得する。「日本で生まれたから、私は日本人なのだ」と、日本人としてのアイデンティティの中で生きている。日本人としての価値観が「正しい」と思って生きている場合さえある。しかし私たちは今、かつては別の世界だった国々や人々、文化が交わる時代に生きている。開かれた世界においては、今まで自己を規定していた「正しさ」が通用しない。

そんな世界で自分らしく生きるためには、同じ価値観の中にとらわれ続けるのではなく、柔軟に新しい物の見方や知識を獲得して、新しい自分へと変化していく必要がある。自ら新しいことを学び、自分なりの答えを出し、自分で進む方向を決める。そこに自分らしく生きる自由がある。

リベラル・アーツは「自由人として生きるための技術」である。歴史を振り返れば、リベラル・アーツは、いつの世も「人がよく生きる」ために存在してきた。現代も言わずもがなである。

いまは本屋にいけば様々な分野の本がたくさんある。オンラインで世界中の授業を受けられる。日本でもリベラル・アーツ教育を提供する大学も増えてきた。

リベラル・アーツの扉は、すでに開かれている。

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