2016年に18歳選挙権が導入されてから、有権者の政治参加意識を育む「主権者教育」が注目されています。民主主義を維持していくため、主に若者に向けて政治について考える機会を与え、主権者としての資質を育んでいくことが求められているのです。
これまでに国や自治体の主導によってさまざまな取り組みが行われているものの、複雑で流動的なテーマを扱う主権者教育にはいまだ多くの課題が残っています。日本の主権者教育の背景や海外との比較を通して、今後どういった取り組みが有効なのか、考えてみましょう。
主権者教育とは
主権者教育とは、主権者たる国民が政治や社会での出来事について自分ごととして考え、主体的に行動できるようにするための教育です。広義では年齢を問わずすべての有権者に向けた啓発活動、狭義では小中学生を含む児童や高校生、20代の若年層に対して政治的な教養を醸成するための教育を指します。
主権者教育と近い意味合いの言葉として「シティズンシップ教育」があります。日本においては、シティズンシップ教育は「社会の構成員としての市民が備えるべき市民性を育成するために行われる教育」と定義され、下記の要素を開発・習得を目指すものとしています。
- 集団への所属意識
- 権利の享受や責任・義務の履行
- 公的な事柄への関心や関与
- 社会参加に必要な知識、技能、価値観
主権者教育はシティズンシップ教育の根幹をなす教育とされています。
参考:国立国会図書館 「常時啓発事業のあり方等研究会」 最終報告書
教育現場への導入
従来、日本の学校教育の場では政治的中立の確保が求められており、具体的なテーマを扱うことは避けられる傾向がありました。この結果、若者の政治的無関心や投票義務感の低下を招き、国政選挙・地方選挙における若年層の投票率は他の世代に比べて低くなっています。
2007年、総理大臣の諮問機関である教育再生会議の報告の中で、主権者教育の充実が提言されたのを受け、2009年に「主権者教育ワーキンググループ」が設置されました。2011年には、総務省が設置した「常時啓発事業のあり方等研究会」の報告書の中で主権者教育の実施が提言され、特に社会参加と政治的リテラシーの育成の必要性が指摘されました。
2015年の18歳選挙権導入に伴い、総務省と文部科学省の主導によって、副教材の作成や新科目「公共」の設置など、具体的な取り組みが進んでいます。
主権者教育の教材
高校での主権者教育では、2016年の参議院議員選挙に向けて、副教材「私たちが拓く 日本の未来 有権者として求められる力を身に付けるため」が作成されました。文部科学省と総務省が共同で作成したもので、政治や選挙についての基本的な解説のほか、討論や模擬選挙、模擬議会など、実践的に学べる内容となっています。
日本の世代別投票率
日本の世代別投票率は60代が最も高く、10代、20代は非常に低い傾向にあります。18歳選挙権が導入されて初めての国政選挙である2016年の参議院議員選挙では46.78%となりましたが、その後は低下を続け、直近の参議院議員選挙では30%台という結果になっています。
年代 | 第48回衆議院議員総選挙の投票率(2017年) | 第25回参議院議員通常選挙の投票率(2019年) |
10代 | 40.49% | 32.28% |
20代 | 33.85% | 30.96% |
30代 | 44.75% | 38.78% |
40代 | 53.52% | 45.99% |
50代 | 63.32% | 55.43% |
60代 | 72.04% | 63.58% |
70代 | 60.94% | 56.31% |
全体 | 53.68% | 48.80% |
若者の投票率が低い理由
若年層の投票率が低い理由はいくつか指摘されています。公益財団法人 明るい選挙推進協会が行った「第23回(2013年)参議院議員通常選挙全国意識調査」によると、投票に行かなかった理由として次のような回答が上位に上がりました。
1位:選挙にあまり関心がなかったから
2位:仕事があったから
3位:適当な候補者も政党もなかったから
1位の「選挙にあまり関心がなかったから」という回答は20代で最も多く、年代が上がるにつれて少なくなります。つまり、若年層ほど政治や選挙に関心が薄く、そのことが投票率の低下につながっているのです。
日本の主権者教育の取り組み事例
講義・講演
中学校や高校に選挙管理委員が赴き、選挙の意義や仕組みについて話したり、クイズや模擬投票を行って関心を高めたりしています。主に市区町村の自治体単位で行われています。
模擬選挙
仮想のテーマに対する複数の候補者や政策を設定し、選挙の模擬体験をします。各候補者は自身の政策を訴える演説を行い、それぞれの価値観や立場について話し合ったうえで実際に投票します。
選挙事務起用
実際に行われる選挙において、アルバイトまたはボランティアで投票用紙の交付や仕分け、点検作業といった選挙事務の補助業務を行います。本物の選挙に携わるため、最も実践的な体験学習といえます。
海外の主権者教育
欧米をはじめとする海外では、日本よりもさらに実践的な主権者教育が進んでいます。
イギリス
イギリスでは、2000年代初頭から小中学校での教育科目にシティズンシップ教育が追加されています。教育の柱として、「社会的・道義的責任」「共同体への関わり」「政治的リテラシー」に加え、「アイデンティティと多様性」が挙げられています。
ドイツ
ドイツの教育科目「政治」では、近年の選挙での選挙ポスターや公約、獲得票数、論争点などが盛り込まれています。議会選挙に合わせて中高生の模擬選挙「ジュニア選挙」が行われ、候補者や政党の公約、論点について学んだ後、各校で模擬投票が実施されます。
アメリカ
民主主義と多様性を重んじるアメリカでは、貧困や差別といった問題について論じる学習が日常的に行われています。大統領選の前には全米規模で模擬選挙が実施され、政治への関心や主権者としての主体性を養っています。
スウェーデン
高い投票率で知られるスウェーデンでは、幼少期より民主主義と政治参加に関する教育が徹底されています。選挙期間中、候補者のもとに直接出向いて各党の主張を調べる課題が出されたり、政治家を学校に招いて討論会が行われることもあります。
主権者教育が抱える課題
日本でも18歳選挙権が導入されたものの若年層の投票率は依然として低く、主権者教育はまだまだ課題を抱えているといえます。
政治へのリテラシーと効力感の不足
日本では自分の行動が政治に影響を与えられるという効力感が薄いため、投票に足が向きづらくなっているといわれています。現在では主権者教育は主に高校から始まりますが、政治への関心や判断力といった素養は初等教育から取り組む必要があります。
教員・教材の不足
教員養成の課程で主権者教育に必要な内容が不足しており、主権者教育を実践できる教員が不足しているといえます。また主権者教育に必要な教材も十分とはいえません。教科書の検定は4年に1度となっており、急速なスピードで変化する時事問題への対応が追いついていません。
政治的中立性の確保の難しさ
日本では1960~70年代にかけて激しい政治的闘争があり、学生の政治活動への参加が歓迎されてきませんでした。教育現場においても具体的な政治的事象を扱うことが制限されていることから、本来の意味で政治的中立を保つことが大きな壁となっています。
まとめ
日本で主権者教育が本格的に導入されたのは2000年代に入ってからのこと。欧米に比べると遅れているといえます。その背景には60年安保に代表される過去の政治的闘争があり、教員や教材も不十分なままとなっています。リテラシーや判断力の不足、政治的無関心が投票率の低さにつながっており、今後より一層の充実が求められています。